日本の女性たちに洋装下着を紹介するイベントは、「好奇の視線」「性的な視線」の中で全国に広まっていくこととなった。その当初、「下着ショウ」の担当者たちは、舞台裏でさまざまな難問に直面した。まず“百貨店でストリップをやるのか”と当時店内でいろんな物議を醸した(『ワコールうらばなし』ワコール、1969)」という。さらに、モデルのなり手を見つけるのが大変だった。出演を打診したプロのモデル嬢からは猛然と拒否された。「下着だけを着付けて舞台に立つことは、ストリッパーにでも成り下がるかの如くソッポを向かれ(同)」たという。当時、洋服(アウターウェア)のファッションショーは盛んに行なわれていて、出演希望者も殺到していた。しかしこれが下着(インナーウェア)となると、ギャラを倍にしても尻込みされる。いよいよ開幕という段になって、モデル嬢が「裸になるのはいや」と泣き出して、なだめるのに一苦労。やむなく「デパートの販売員である『販売マネキン』からスタイルのよい女性やバレエの素養のある女性を集め(『ワコール50年史・こと』ワコール、1999)」、それでもモデルの人数が足りず「百貨店の向かいにあったキャバレーに支配人が乗り込んで、いやがるホステスを口説き落として出演してもらう段取りをつけた(同)」こともあったという。ファッションショーとはいうものの、下着姿で人前に出るわけであるから、モデルたちの抵抗も当然である。
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