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空からクラブ化粧品のチラシ広告

明治末期にフォードの自動車広告で話題を投げかけた中山太陽堂であるが、『クラブコスメチックス八〇年史』によれば、その新しい宣伝手法がいくつか紹介されている。今度は空からの広告宣伝を試み、日本における広告史上に名を残した。大正二年四月、朝鮮京城の空からクラブ化粧品のチラシ広告が数日間にわたって撒かれたのであるが、飛行に先立ち東京の各新聞に予告広告を行い度肝を抜いた。さらに、飛行機宣伝の一環として東京の数寄屋橋と大阪の道頓堀で空中映写広告を試みている。水上に霧のスクリーンを作り、夜空に文字や絵を投射するという大胆な手法であった。さらに、空中広告の新しい試みが続き、大正二年には当時斬新なアイデアであった気球の広告を実現する。現在では飛行船の広告があるが、当時はこの気球広告で東京の日本橋や、大阪の繁華街を飛行、人々を驚かせた。その後気球広告は、平尾賛平商店のレート化粧品、森下仁丹などと競い合うようになった。また、富士登山会の開催、あるいは地上の宣伝活動部隊としてクラブ少女音楽隊を編成、三越の少年音楽隊の向こうを張って颯爽とPR活動を行っている。
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